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清算手続きの続きです。

厚生年金も会社で支払っていたので、それの喪失をしに行きました。
行く場所は、年金事務所です。

持ち物。
・喪失届(その場でもらえます)
・健康保険証
・一応、年金手帳も。

会社が解散した証明もと言われる場合もあるみたいなので、株主総会の議事録もあるとよいみたいです。
私は聞かれませんでしたが。

あっという間に、手続きしてもらえました。
健康保険については、
いつから失効させるかは、自分で決めることができますが、
あまり長いと、さすがにだめみたいです。
私は、先月末で終わるようにしました。

そのまま国民年金に移行をするつもりだったので、
この喪失届を、出してから、コピーをしてもらいました。
自分自身のため、退職の証明がない状態です…。
役場で、証明するものはありますか?と聞かれるので、
これについては、年金事務所で確認しておいたほうがいいと思います。

健康保険は、次に国民健康保険に入るか、
協会けんぽを2年継続するか、選ぶことができました。
免除申請もあるみたいなんですけど、世帯主が、私は現役の父親なので、
申請、通るわけがないので、だめでしたねw

国民健康保険は、市町村によって違います。前年度の収入によっても変わります。
そのため、自分の両方の料金を確認してから、どちらに加入するかを決めたほうがよいです。

国民健康保険には、資格喪失から14日以内には加入しないといけません。
協会けんぽも、続ける場合は、20日以内に加入の申請が必要になります。
このあたりの手続きは、お早目にといったところでしょうか。

ついでに、源泉徴収関連の資料も、
役場に提出をしてきました。
清算の資料については、2ヶ月後に来ますとお伝えして。

あとは、事業所自体を閉めたという届を、
年金事務所に提出する必要があります。
適用事業所全喪届です。 これも、その場でくれます。

ただ、これは、解散登記の登記簿謄本が必要なので、
登記が終了してからでないとだめですね。
最終は郵送でいいよと言われたので、郵送するつもりです。

だいたい、そんな感じでした。

後は、7月のはじめに一気に清算決了の手続きです。
これが終われば、全部終わるぅ!ということで、第1段階は終了です。

事前に調べておけば、結構なんとでもなるものですね。
自分で会社作るときも、出来るかなーと心配だったけど、
案外、できそうな気がします…。気がするだけだけど(苦笑)
まだまだ、がんばりまーす。

# by lalamicky | 2012-05-03 10:35 | 会社清算

まず、事務的説明。

行く前に、
株主総会による解散決議の議事録・・・文書例は法務局のWebサイトにあります。
清算人・代表清算人の選任・・・これも、一緒。
を作ります。

そして、
印鑑証明と、
印鑑届出書と、
上の二つと、定款のコピーを持参。
そして、法務局へ行って、申請をします。

いつのまにか、商業登記は、名古屋でしかできなくなっていました。
業務効率としては、確かに正解でしょうね…。今日も、そんなに待たなかったし。
登記自体は、だいたい二週間くらいで、できるみたいです。

そして、二ヶ月と二日後には、清算結了をやらないとだめみたいです。
それまでに、しっかり清算しとけとのことでした。

そのあと、税務署に行ったら、清算決了をやってから来てと言われました。
でも、いろいろ手続きの方法を教えていただきました。
お兄さん、いい人だったぁ。

それにしても・・・・

つくるとき、あんなに苦労したのに、なんか、あっという間に解散登記申請が終わりました。

ちょっと悲しくなりました。
なにか成果は残せたか。
それは最後までの疑問です。

でも、ある人が、会社を作る経験をした人は少ないのだから、それだけでいいんだよ。
と言ってくれました。
私は、それだけで、救われました。泣きそうになったっけ。
起業仲間の言う言葉だったので、より、ささりました。

ましてや、つぶす経験もあれば、なおさらなのだと、他の人にも言われました。
そんな、学校の先生、いないんじゃない?と、いってくれた人もいました。

改めて、この経験という武器を手に、これからも走り続けたいなと思います。
明日は、社会保険庁ですかね。厚生年金にさようならしてこないといけません。

立つ鳥跡を濁さずで、がんばりたいなと思います。

# by lalamicky | 2012-05-01 22:21 | 会社清算

このネタは、さすがにこっちのブログかなと思いましたので、
久しぶりの更新です。約、半年ぶりですね。

大学の勉強も落ち着いてきたので、
今頃、ケープタウン株式会社の、会社清算の事務作業をはじめました。

これがね、やっぱりわからないんです。
そもそも、ほとんど動いていない会社の清算の仕方の本なんて、ないんですよね…。

一人起業のための本は、いっぱいあったんですけど、清算となると、ない。
大きな会社の合併とか、従業員抱えた小さな会社の破産の仕方とかの本は、
結構あるんですが、一人はない…。

会社を閉めようと決めてから、
結構頻繁に本屋にいって、探してたんでけど、これっ!というのがなくて…。
ネットも、やっぱりわからないことが多くて。
それで、ちょっと、置きっぱなしにしてました。
自分の学業優先!と思って…。

とはいえ、もうさすがにまずいと思い、事務作業開始をしました。

とりあえず、株主総会で決定して解散することにするんですけど、これが正しいのかもよくわからない。
一人の場合、株主総会も一人でやって一人で清算人を決めるということになるみたいです。
そんな資料が必要というのも、どうかと思いますけど…

そして、その解散登記には、39,000円が必要となります。
あぁ、痛い出費です。

しかも商業登記のときはあった法務局の犬山出張所が、どうやらなくなっているようで。
どちらにしろ、解散は、名古屋の本局でしかやっていないので、名古屋まで行く必要があります。

そして、税務署もいかなきゃ。
税務署こそ、必要書類が本当に難しい。
事前に、これでいいかなーと思って記載でもしていけば、
数字があわなくて、書きなおしというおちになりやすいのです。
会計知識が曖昧な私には、これが一番つらいです。
これを考えると、税務署は、何度もいかないとだめな予感がします。
これも、家から遠いんですよね。。。

あぁ、やっぱりこういう時は、東京がいいなと思います。

でも、逃げるのやめて、立ち向かわないと。
聞きながらやるしかないなと、腹をくくりました。

塾の生徒も普段、テストに向かってがんばってるのに、私が逃げてちゃだめですね。。

それにしても、会社を作るときもそうでしたが、
縦割りすぎるのは、もうなんとかならないかと思います。

明後日には、社会保険事務所にも行くつもりなんですけど、
いろんなところに申請にいかないといけなくて、
そのための書類はすべて様式がばらばら。

だから、社労士とか行政書士とか税理士とかがいるのは、よーくわかるんですけどね。

それでも、自分でできるところまでやりたいなーと思うのも、私の癖です。
できないことはないはずです。

せっかくなので、起業時同様、会社の清算の仕方を、
このブログでしっかりまとめていきたいと思います。

# by lalamicky | 2012-04-30 12:02 | 会社清算

10月21日、祖母が永眠しました。

2ヶ月近く入院していたし、
もう意識は1週間くらいなかったから、
そろそろかなと、覚悟はしていましたが、
やっぱり、悲しいものですね。

通夜、告別式も、
21日、22日に済みました。

あっという間に、時間がすぎました。
まるで、今になったら、うそのようです。
また、病院いかなきゃねーとか、いう話が出てくるのでは?
と思うくらい。

享年87。

大往生です。

帰国してから、1年半が経ちました。
ほとんどが、祖母と母との生活だったような気がします。
私が中学2年生のときから同居をはじめたので、
愛知県にいる5年間+1年半、祖母との生活でした。
これだけ長く一緒に生活していた人が亡くなるという経験は、初めてです。

たくさん、泣きました。

いろんなことを思い出しました。
介護していて、大変だったことのほうが、多いような気もしますが、
だからこそ感じることができた、楽しみとか、うれしさとか、
おもしろさとか、たくさんあったなと。

人は、1人では生きていけないし、
どうやって最後を迎えるかは、自分では決められません。
これって、実はすごく大切なこと。
どんなにあらがっても、そこは自分では決められない現実。

この1年半の生活は、
私が今まで、経験したことがないものでした。
介護生活。

もし、東京にいたままだったら、ケープタウンにいたままだったら、
まったく違う気持ちで、今日を迎えたのではないかなと思います。

そういう意味では、帰ってきて、本当によかったです。

最後まで、しっかり、一緒に過ごすことができたし、
人が、どう衰えていくのか、その時に必要なのは何なのか。
何がその人にとって、周りの人にとって、幸せなのか
毎日のように考えさせられました。
答えはまだ出ません。

東京にいたら、きっとそんなことをかんがえなかっただろうなーと思います。
人の、人らしい部分を、いやだと思ったら、みないようにできる、世の中ですから。

母は、一度目に、祖母の意識がなくなったときから、毎日病院に行きました。
母の、祖母に対する介護は、本当に尊敬に値するし、
私はこんなことができるだろうかと思いました。
血縁関係がない、嫁姑の関係でここまでできる母親を、すごく尊敬しました。

私は、長期の施設にいれればいいのに・・・と、
何度も思いました。
何度も言いました。
でも、母は「祖母は、家が好きだから」と言いました。

こんなに大変なのに。
お金で解決できるけど、
解決しない母
その人のことを本当に想う気持ち。

すごく大切なことだなと感じます。

祖母が最後にデイサービスや、ショートステイで通っていた施設の方が、
お見舞いにも来て下さったし、お通夜の前にも、来てくださいました。
これも、すごく大切なことだなと感じました。
ただ、お金をくれているから、預かってくれる施設だと、
ここまではしないんじゃないかなと。
本当に、うれしいことでした。
祖母を、想って、一緒に過ごしてくれていたんだなと。

その証拠に、この施設で撮ってもらった写真の祖母の顔は、
本当にいい笑顔です。
遺影にも使わせていただきました。

福岡から来て下さった、
祖母の弟さんが、「ありがとう」と、何度も言ってくださいました。
祖母が幸せだったのは、皆さまのおかげだと。

私も、そう思いました。

もう、聞くことはできないけれど、
祖母は、幸せだったんだろうなーと思います。

私は、そんなに力になっていないけれど、
母親や、施設の方々、もちろん父親、妹、
皆に見守られていたんだから、幸せだったのだなと。

祖父が亡くなってから、17年。
好きに生きていましたから。

認知が入ってからというもの、周りは、大変でしたが、
そういうことも含めて、人が老いるのは、当たり前で、
それを家族がサポートするからこそ、
人間の大事なことに気づいて、
今ある幸せを感じたりすることができるのかな、
なんて思いました。

祖母に化粧をしてあげなあがら、
震災で亡くなられた方のご家族、こうやってきれいな顔を見ることもなく、
お別れをせざるを得ない人が、たくさんいたんだなーと思うと、
胸が痛くなりました。

こうやって、家族に見守られて、
しっかり通夜、告別式ができるということ、
それだけでも幸せなことなんだなとも感じました。

もちろん、ビジネスをすることも、友達と遊ぶことも、
何もかも大切なことです。

でもね、人間らしさを見ながら、
人間の生まれるところ、育つところ、衰えるところ、亡くなるところをしっかり見るという経験は、
何にも代えがたいものだなと感じました。

私自信、もしこの生活がなければ、
先生になろうなんて、思わなかったと思うし。

祖母の介護をしながら、
人のためになるというのは、近くの人でいいから、
必要とされている人に何かをすることなんだと認識させてもらえたし。

だからこそ、何かできることをしたいと感じたし。

本当に、いろいろと学ばせてもらいました。

祖母に、ありがとうを、何百回言っても足りないなと思うくらい、
ありがとうございましたと、いいたいです。

そして、最後は、苦しかったと思うから、
向こうで、祖父や、もう一人の弟さんと、
楽しく、ゆっくり過ごしてね~!と、祈らんばかりです。

本当に、ありがとうございました。

さて、これからは勉強に集中です!
2年、しっかり勉強して、小学校の先生に絶対なるぞ!

# by lalamicky | 2011-10-23 17:16

今日は、南アネタではなくて、
被災地に、ようやくボランティアに行けたので、その体験談です。
長文ですが、まだ程よい疲れがあるので、稚拙な文章になってますw

今まで、行きたい!と思っていたけれど、
どうにも、祖母のこととかがあって、なかなか自分の時間が作れず・・・。
ようやく、念願叶いまして、行くことができました。
本当は、1ヶ月とか、長く行きたい!と思っていました。
1日で、何ができるのだろうと・・・。
でもね、1日でもできることはあるなと、すごく楽しい、素敵な時間を過ごすことができました。

私が参加したのは、
愛知ボランティアセンター主催の、車中2泊の弾丸ツアーです。
石巻市の中でも、牡鹿半島、十八成(くぐなり)浜の集落で、炊き出しや、がれき撤去など、
班に分かれて行動します。48人という、大人数で、バス1台で行きました。
名古屋から、約14時間。。。間でサービスエリアで休憩しつつとはいえ、長旅・・・・。

そして、バスの中で知らされた事実・・・
現地、台風15号の影響で、断水!
私は、炊き出し班でした。どうやって料理するの!?と、
まずは、行ってみないことには、どういうふうにするのか、決められない状況でした。
たくさんの水を購入して、出発。

長い長い距離をバスで行き、石巻市街を通過。
石巻ね、もうすごく復興していて、ここが、被災地だったの!?
というくらいに、いろんなお店ができていました。
人々の生活が少しずつ戻ってきているのを感じました。

ただ、そのあと、ちょっと市街から離れていくと、
いまだに、半壊の家がたくさん・・・。
すでに、半年以上がたつのに、変わらないのだなと、思いました。
そして、牡鹿半島へ。
途中、台風15号の影響で、土砂崩れがあり、道路が片側通行になっていました。
出発前日までは、通行止めだったそうです。

牡鹿半島から、見える景色は、本当にきれいでした。
リアス式海岸独特の山と海。海がすごくきれいでした。
隣に座った方は、岩手にもボランティアに行っていたようで、
5月の時は、海が黒かったと教えてくれました。
でも今は、本当にきれい。海は、復興しているのでしょうか。

もし、何もない中で、この景色を見たら、
南アフリカの海岸線道路を行くのと同じくらいの、うきうき気分になりそうです。

そして、十八成浜に到着。何も・・・・なかったです。
半壊した家はぽつぽつ遠くに見えるのですが、
海岸のすぐそばには、空き地でした。
何が・・・あったんだろう?そう思うような場所。

今回調理させていただける、憩いの家という施設にみんなで向かったところ、
数人の方が出てきました。笑顔で「おかえりー」と。
愛知ボランティアセンターでは、何度もここに行っているので、
「ただいまー」といいながら行くようになっているとのこと。

行ったそばから、出てきてくれた方が、
「もう、90%仕事は終わりだよー!あと、10%がんばってねー」と言われました。
「来ようと思って、来てくれただけで、90%は終わりだよー」と。
なんだか、こちらが笑顔になりました。
今までの愛知ボランティアセンターの活動が、評価されていることの証明だと感じました。

そして、区長さんのお話などを聞きました。
台風で、山津波がおきて、山からの水で、海に車23台が流されたって。。
聞きながら、津波があったのに、なぜ、こんなことに・・・と、
想像するだけで、胸が痛くなりました。
でも、来てくれるだけで、いいんだよ!と言われ、
ただただ、やるしかない!と思いながら、いざ作業開始です。

300人分の炊き出しです。全員が経験のないこと。
メニューも、断水の関係で、少し変更がありました。
それでも、皆が一生懸命、自分のやるべきこと!と、
仕事を探し、どんどん進んでいきました。

これ、本当に感動しました。
こういうボランティアって、やっぱりモチベーションが高いせいか、
皆さま、本当に仕事を探すし、仕事へのアイデアを持ちあうし、
それをすぐ適用するし・・・こんなにすごいチームワークを、
久しぶりに体感できて、とにかく感動しました。

参加者の中には、中学生もいました。
一緒に炊き出し班にいた、中学3年生の女の子。
いっぱい、ご飯をお弁当箱につめてくれました。
1人で行かせる親も偉い!と、日本の未来を感じた瞬間でしたね(大げさw)

だいぶできた後で、お届けに行くということで、
小沢コミュニティセンターに移動。

移動している最中に、傾いた公衆トイレの建物や、電信柱、
1階部分が完全になくなっている家や、乗り上げた船や、
壊れた車がしっかりそのままでした。
今でも感じられる、地震、津波の爪後。
小さな集落、いつになったら、復興できるのか、
石巻市街とは違う環境に、悩ましいなと思いました。

そして、住人10人くらいと一緒に、
私たちがつくったお弁当とスープを食べました。
「おいしいよー、ありがとう」そう、お言葉をいただき、本当にうれしかったです。
ほとんどが、70歳以上の方だったように思います。。
皆さま、口をそろえて、今回の台風も、本当に経験がしたことがなかったと・・。
津波で被害がなかったお家でも、台風で被害にあったところがあると伝えてくれました。
なんとも言えない気持ちになりました。

そして、鮎川の仮設住宅へ。学校の校庭にある仮設住宅でした。
改めて、思いましたけど、仮設住宅って、
本当に仮設なんですよね。隣近所、音絶対聞こえるし、
くつろげる場所が少ないような気がしました。。
なんか、テレビでは見ていたけど、やるせなさを感じてなりません。

集会場で、お茶会をしましょう~ということで、数人に集まっていただきました。
今回のお茶会を盛り上げるのは、一緒にボランティアで参加した、
9歳の女の子のバイオリン!
バイオリンの音色に合わせて、歌ってくれて、すごく楽しそうで、うれしかったです。

9歳の女の子、お母さんと中学3年のお兄ちゃんと来ていたのですが、
自分で、行きたい!と行ったそうです。はじめは、中学3年の子が行って、
そのあと、両親が行き、その話を聞いた9歳の女の子が行きたい!って言ったそうで。。
すごいですね。負けてられません(笑)

この時、私は、ある被災者に、
「北海道に、旅行に行っていたのだけど、
今日帰ってきて、この現実に戻らないといけないもんねー」
と言われて、私、何も言えなくなりました。

当事者じゃないとわからない気持ちは、絶対あります。
ここで、がんばってくださいよ!なんていえません。
なんとか出た言葉が、
「ご飯、たべてくださいー!」でした。
笑顔で、「お弁当、ありがとうねー」と返していただきました。
結局、私が炊き出しをしたことは、やっぱり喜ばれているし、
きっと、こうやって話すことも、
一つのボランティアなのかななんて、思ったりして。

そして、憩いの家に戻りました。
最後に、もう1回バイオリンをやったり、
中国人留学生のボランティアの子が、中国の独楽を披露してくれて、
皆さま、また喜んでくれていました。
毎週、土曜日は、愛知ボランティアセンターが来てくれるのを、
楽しみにしているんだよーと、言われていて、この活動はすごいなと感じました。

そして、バスに乗って、帰途へ。

バスの中では、行きに自己紹介、帰りには、感想を一言ずつというのをやりました。
これ、よかったですね。皆さまいろんな思いで来ているのもわかりましたし、
3、4回参加されている方も結構多くて、年齢層も、9歳~中学生、大学生、
そして、上は・・・いくつかわかりませんが60代くらいまでいたような!?
ということで、これだけいろいろだと、感じることも違うので、
自分の感じたこと以外のお話をたくさんきけました。

やっぱり、百聞は一見に如かずということは本当で、
肌から感じるものはたくさんありました。

今回、これをどう伝えるかが、すごい難しいなということも、感じました。
経験者が言っていたので、とくに感じました。

帰ってきたら、うちの家族の現実は、幸せなものですからね。
すごく、そう感じましたよ。

このブログは第1段で伝える感じですかね。

まだまだ、本当は書きたいけど、こんなところで。。

皆さま、何か自分にできることを、被災者のために、
考えていただけるとうれしいです!
きっと、このブログを読んでいる人は、ほとんど何かをしていると思いますがw

今回撮った写真は、現像して、持ち歩こうと思います。

最後に、きれいな十八成浜の夕方でした。

石巻に行ってきました。_b0185952_232437.jpg

# by lalamicky | 2011-09-25 23:02